季節は秋?よく手入れされた里山の雰囲気が伝わってくる、貴重な写真。(1955年頃の南軽井沢扇平)

 かつては町中の里山がこのように手入れされていました。炭を焼き、落ち葉を取り畑の堆肥にすること
は農家の冬の大切な仕事でした。写真中央に「かます」が置いてあるのがお分かりですか?おそらく、落
ち葉を集めて運ぶ途中だったのでしょう。このような清潔な里山には、毎年春には明るい林床にたくさん
の野の花が咲いていて、こども達は安心して遊ぶことができました。たくさんの楽しい思い出ができた大
切な場所でした。軽井沢町は、たくさんの種類の植物や動物が人間の生産と共生していた、「生物多様
性の高い」自然豊な町だったのです。(当時の軽井沢町がいかに野の花の豊な町であったかは、「お知
らせ」コーナーで紹介している、『もう一度見たい!軽井沢の草原・湿原』でお読みください。)
 ところが、1960年代に入ると、いわゆる「エネルギー革命」で、日本人の生活も石油依存型に変化し、
このような里山での薪炭生産は生産性が悪くなり、採算が取れなくなり、放棄されてしまいました。さらに
追い討ちを掛けるように、農業生産に有機肥料が使われなくなると、ますます里山の利用価値は低くなり、
農民は共有財産であった、かつての入会地を大資本に売却せざるを得なかったのです。こうして自然豊
な南軽井沢の草原・湿原は、ゴルフ場・別荘などに開発され、破壊されていったのです。
 かつて「有名な尾瀬ヶ原にもない貴重な植物があった」(原 寛・佐藤邦雄・黒沢幸子『軽井沢の植物』
p.46)と学術的にも高く評価されていたいう南軽井沢の自然は、あっという間に破壊されていきました。
とくに湿原150ha.は、現在ではたったの3ha.にまで減少してしまっています。
 しかし、南軽井沢には今でもわずかながらとはいえ、日本でも、第1級の貴重な自然が残っているので
す。そのいい例が、上の写真の扇平地区に残っているハナヒョウタンボク群落です。このスイカズラ科の
木は、日本では長野県軽井沢周辺と岩手県にしかありません。氷河気候の遺存種と考えられています。
ここには、かつての湿地の生き残りともいえる「ヤチ」があり、ハナヒョウタンボクばかりでなく、たくさんの
種類の花がひっそりと生き残っています。ところが今、このヤチに別荘開発計画が起こり、貴重な自然が
破壊されようとしています。(2005.10.19現在)
 これらの残された自然は、将来の軽井沢町の発展のための貴重な財産であり、他の町には絶対まね
することのできない、すぐれた特色になっています。軽井沢サクラソウ会議は、このヤチを「自然生態園」
として保全し、県や町、住民が一緒になって買い取りたいと思い、「軽井沢 緑を守る基金」を創ろうと提
案しています。
 今、町はミニバブル状態です。都会から軽井沢町の自然環境のよさを求めて、たくさんの人が別荘を
作ったり、永住しようと引っ越してこようとしています。ですから、一刻も早く全町で、残された貴重な自然
が何であり、どこにあるのか調査し、保全のための方策を立てることが緊急の課題となっています。
 私たち、軽井沢サクラソウ会議は、軽井沢町の貴重な自然と共生できるような町の将来像を、町民・別
荘民と一緒に考えていきたいと思っています。1970年代に進んだ自然破壊を再び繰り返し、軽井沢町の
個性を失ってしまうことが無いように願っています。自然を大切にしながら発展できるような新しい町の将
来像を創りたいと思っています。みなさんのご支援をお願いいたします。
 
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里山の破壊